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ミュージカル「エリザベート」を観て「自由に生きたい」

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Marina19891989 / Pixabay

先日、「エリザベート」という有名なミュージカルを観てきました。

ハンガリー皇后のエリザベートの一生を描いた作品で、世界中で再演されている有名な作品です。

棺桶が並ぶ、暗い霊廟から、次々とエリザベート皇后の関係者が甦り、ルキーニの証言がはじまります。彼は死後の世界で、なぜエリザベート 皇后を暗殺したのかを尋問にかけられています。ルキーニは100年もの間、黄泉の帝王トート閣下にエリザベート皇后が見初められてしまったことが原因だと訴え続けています。

エリザベート皇后の人生には、常に黄泉の皇帝トート閣下の姿があり、皇帝フランツヨーゼフと恋敵だったというのがミュージカル「エリザベート」の世界観です。

作品やセットの雰囲気も素敵なのですが、私は「自由に生きたい」と願い続けるエリザベート皇后が心に残っています。

幼少期は自由に野山を駆け巡るおてんばな少女だったのに、皇太子フランツに見初められ、皇后になってからは、国家のためと、いろいろな束縛を受けてしまいます。

大好きだった乗馬も禁止され、子供も自分で育てることもかないません。今の女性からしたら、驚くべきことがたくさんありますが、当時はそれが慣習として当たり前だったのです。そんな中でもエリザベートは「自由に生きる」ため、いろいろなしがらみや束縛と戦い続けるのです。

「自由に生きること」が正しい選択なのかはわかりませんが、諦めない彼女の姿に心が揺さぶられます。

私も「自由に生きたい」と願うエリザベートの姿に勇気をもらいました。いまの環境を壊して、新しい世界に飛び出したいと、自分の境遇を振り返りました。

初回観劇時、仕事がうまくいかず、もっと自由にできる環境が欲しいと思いつつも、できない。そんな鬱憤が溜まっていた時だったので、自由を求め続けたエリザベートに共感して、涙が止まりませんでした。

あなたにとって「自由に生きる」って、どんなことですか。

ミュージカル「エリザベート」を観劇する度に、私にとって「自由に生きること」ってなにかを問われている気分になります。

私はそれを考えた時、ライティングゼミに参加して文章を書いていました。

「エリザベート」の初回観劇から数年たち、時間的にも金銭的にも以前に比べて余裕ができた時、心の自由を求めて行ったのが、文章スキルを得ることでした。

ライティングゼミに参加したきっかけは、30歳という区切りまでに、苦手としていた文章を書くということを克服したいと考えたことでした。しかし、気づいたら文章を書くこと自体が私にとって心の自由を得ることになっていたのです。

お世話になっている先輩が言っていた言葉が頭に残ります。

「天狼院のライティングセミナーに通ってるんだってね」

「文章を書くのを頑張っているみたいだけど、小説家にもなりたいの」

本人は全くその気が無かったので、とても意外でした。文章を書くことを苦手と思っていた私にとって、その言葉は思ってもないものでした。

ただ、私は心の表現の手段として、文章を書くことを学び、自由に生きたかったのです。

私は人の感覚は人それぞれだと思っています。

「今日のリンゴは、赤いね」

こんなセリフを聞いた時、どう思うでしょうか。同じリンゴを食べている人でも、「いつもより赤い」と感じる人もいれば、昔実家で作っていたリンゴの方がより赤いと思っている人もいるかもしれません。

個々人で思ひ浮かべる赤が違うので、感覚を共有することは難しいのです。

一方、共通言語が多く、認識のずれが少ない世界が、科学だと思います。

科学的な世界は根拠が明確であり、論理的であれば、成立します

「貧血を改善したいなら、鉄分の多い食品を選びましょう。」

この台詞はリンゴの例のように、人によって感じ方が異なるものではありません。貧血という病気は生物学的にメカニズムが明らかになっています。その原因が鉄分不足ということも、科学的に証明されているのです。だから、誰がどんな感情を抱いたとしても、この内容で認識のズレは起きないのです。ここには事実しかなく、感情はほとんど含まれません。

この科学的な世界に長いこといましたが、30歳を前にして、それが急につまらなく思えてきました。「自由に生きたい」と感じてしまったのです。

大人になってから、リンゴの例のような感覚違いが、その人を知るヒントであり、その人の魅力であることを知りました。感覚が同じという事以上に、感覚が違うという事に魅力を感じています。

人によって、背景が違うから、捉え方が違います。実家のリンゴの方が赤いというならば、どんな赤だったのか気になります。

私だから、出会えた人。

私だから、感じられたその人の個性。

それを、私というフィルターを通してでも、他の人と共有したいと思ってしまいました。

私はカメラを持っていませんが、その人のその瞬間を切り取るカメラマンのようだと自分で思います。

カメラは映像で「今」を残すことができますが、文章は「その時の感情」や「過去」のことも記録に残すことができます。

「はい、チーズ!」

とシャッターを押したそのタイミングのその人の表情が残るのは写真。

シャッターが降りた時の、その人の感情やその心情の動きは文章で表現することができます。

文章で色や形を詳細に残すことは難しいですが、その分、あの時のあの人のあの行動が素敵だったと振り返って形にすることができます。

先日、観てきたミュージカル「エリザベート」も、二度と全く同じものを観劇することはできません。同じ台詞、同じ舞台でも、翌日にはその空気感は違います。同じ映像を見ても、1回目と2回目では感動する場所が違います。

だから、私は文章を書く力をつけて、出会った人の素敵なとことを、記録に残したい。それが私にとって「自由に生きること」のようです。

あなたにとって「自由に生きること」とは、どんなことですか。

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