カラーセラピー

偉人ゲーテのダメ男人生を紹介します

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おはようございます。

今日は紹介したい人がいます。

それはカラーセラピーを勉強する中で出会った偉人ゲーテさんです。

彼はヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテと言い、1749年のドイツに生まれました。

ドイツ帝国が生まれるずっと前、軍国プロイセンでは世代交代が終わってすぐという時代に生まれました。詩人として、劇作家、小説家、自然科学者、法律家、政治家など様々な顔を持ち、数々の偉業を残しています。

そんなゲーテさんですが、よく調べてみると、その人生は究極の「ダメ人間」でした。

Wikipediaで「ゲーテ」と調べただけでも、10人の恋人の名前が残っているほど、恋多き男。牧師の娘に、レストランの娘、お見合いもしましたが、不倫相手になることも多く、許されない恋も赤裸々に記録が残っています。

まさかゲーテさん本人も、自分の偉業が赤裸々な恋愛話とともに残るとは思ってもいなかったのではないでしょうか。きっと天国でいたたまれない気持ちになってるのではと少しお気の毒に感じます。

今思えばちょっと残念な偉人、ゲーテさんの驚き人生を紹介します。

幼少期のゲーテさんは今でいうところの神童です。

少年期には既に、英語・フランス語・ラテン語・ギリシャ語・ヘブライ語を習得し、8歳の時には素敵な詩を新年の挨拶として祖父母に送っています。お父さんもきっと息子の将来を期待したでしょう。

ゲーテさんのお母さんの家は代々法律家で、お父さんもフランクフルトの要職に就いた人でした。裕福な家でもあったので、ゲーテさんは3歳から読み書きに加え、算数を習います。5歳から寄宿制の初等教育を受けるなど、熱心な教育を受けるのでした。

しかし16歳になり、ライプツィヒにある大学の法学部に入学したあたりから、雲行きが怪しくなります。大学デビューしたゲーテさんはロココ調の最新ファッションに身を包み、都会の生活を楽しみます。通っていたレストランの娘のケートヒェンという娘に恋もして、勉強に力が入りません。結局、結核と思われる病気にかかり、大学は2年で中退しています。

田舎から出てきた学生が、バイトや恋愛を楽しみすぎて、留年、もしくは退学。こんな人、今の世の中にもたまに見かける人物像です。幼少期はまさに神童と言われただろうゲーテさんも、こうやって見ると、だいぶヤンチャな若者です。

このヤンチャぶりはこれで終わりません。

親の思いと、子供の考えはすれ違い続けます。

お父さんはゲーテさんに法学を学ばせて、出世して欲しいと夢を抱きます。お父さんの希望を叶えようと、ゲーテさんは大学を入り直し、法学を勉強します。卒業後、弁護士の資格を取得し、やっと一人立ちするかと思われました。

しかし、ゲーテさんは文学に没頭してしまい、仕事への興味を失ってしまいます。

仕事に興味がなくなり、文学に打ち込む姿を見たら、どんな親でも心配するでしょう。

ゲーテさんのお父さんも心配のあまり、ゲーテさんに法学の再履修をさせるため、当時最高裁判所のあったヴェッツラーに送ります。優しいお父さんの対処でしたが、ゲーテさんは親友の婚約者に失恋したことが原因で、帰郷してしまうという始末。

ゲーテさんの恋愛模様は戯曲という作品で昇華されましたが、親と子供思いはすれ違い続けるのでした。

本当に、ゲーテさんの親御さんは苦労されたでしょう。

今の世の中にこんな人がいたら、まさにダメ人間です。

ただ、ゲーテさんのお父さんはフランクフルトの要職を務めたものの、枢密顧問官の資格を買い取り、早くから隠居生活を送っていました。文物の蒐集に没頭していたので、血は争えないということかもしれません。

ただ、ゲーテさんのダメ人生はこれだけではありません。

ゲーテさんは恋愛により世の中に作品を多く残しましたが、付き合った女性は堪りません。

「女性の敵」がいるのならば、きっと彼のことでしょう。

若い娘のいる親なら、いくら有名でもゲーテさんには気をつけろって言うはずです。

彼の恋愛は許されない恋であることが多いのですから。

色々な恋愛がある中で、私が一番許せないと思ったのは、ゲーテさんが39歳の頃に付き合った当時23歳のクリスティアーネとの恋愛です。

その後、彼女との間には子どもが5人も生まれますが、籍を18年間も入れようとはしませんでした。

57歳のとき、フランス革命の影響で、ゲーテに身の危険が及びます。それをクリスティアーネと近くの兵士により助けられたことを機に、やっと籍を入れる決意をするのです。

子供もいたにも関わらず、18年も事実婚を続けたなんて、よくクリスティアーネが見放さなかったと驚きます。

ゲーテとクリスティアーネの間には身分差があったとはいえ、長すぎませんか。

ゲーテさんはクリスティアーネを妻にしましたが、ゲーテさんの恋模様は続きます。

入籍した翌年には当時18歳の少女に恋をします。そしてクリスティアーネが亡くなった5年後、ゲーテさんが77歳の時には当時17歳の少女に求婚し、断られます。

77歳にもなった男性が、湯治場で出会った17歳の娘に恋して、真剣に求婚までしたのです。娘さんにとっても、親御さんにとっても、驚きが隠せない求婚者でしょう。

恋多きゲーテさんは学問の世界でもヤンチャをしています。

ゲーテさんは色を科学的に証明したニュートンさんに真っ向から反論しました。

ニュートンさんはプリズムを使って色を分け、虹を7色と決めたことで有名です。この考えは1740年「光学論」で発表されました。つまり、ゲーテさんは生まれる前の偉人に反論したのです。

ゲーテさんは色相環と呼ばれる考え方を生み出し、1810年に「色彩論」という本を出版しています。色の移ろいを環状に捉え、光と闇から色が生まれるといった色の感覚を表現した理論でした。

彼はこの本を人生最大の傑作と言っていますが、あまりに人間の感覚を重視した考えなので、科学者には認められませんでした。この考えは画家など、色を使った仕事をする人にとっては、とても役に立つ考えでしたが、当時の科学者には相手にもされない考え方でした。

結局、ゲーテさんは科学者としては認められませんでしたが、色の世界に偉業は残しました。

シューベルト作曲の「野ばら」の詩を作った人として特に有名なゲーテさん。

詩人以外にも、色々な肩書きがあるので、どんなにすごい人かと思って調べると、意外にも何度も大学を入り直し、その都度、女性に恋をしてばかり。

今、この世に似たような人がいたのならば、ダメ男と呼ばれている事でしょう。

彼の人生を調べて、私は「馬鹿と天才は紙一重」と言う言葉を思い出しました。

あなたは彼の人生から何を感じましたか。

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